スタッフブログ〜「足るを知る」ブータンの軸

先日久しぶりにブータンにいるスタッフとオンラインでお互いの近況報告などをしました。

ブータンはまだロックダウン真っ最中。家族で1名交付されたパスを所持している人だけが13時間、唯一外出を許されている生活だそうです。

そもそも国内旅行の観念が無いブータンでは旅行関連の会社はまるっきり休業しているし、学校も休校していて、毎日時間ごとに学年別にテレビでオンラインの授業を行っている状況。生活困窮者には申請制で一定の給付金が政府から支給されるそうですが、そもそも自給自足の多いブータンでは、ティンプーなど都市エリアの一部の住民に限って給付金申請が上がってくるそうですが、ほかは至って平穏、ロックダウン宣言直前の買い占めもほぼ皆無だったとか。

ブータンの人々は今の状況に大きな不安も不満もなく過ごしているそうです。それどころか、ブータン国民は、政府の様々なトライ&エラーにとても好意的かつ協力的で、「よくやってくれている」と益々その信頼関係は高まっているようです。確かにブータンは日本の九州くらいの国土に徳島県ひとつ位の人口(75万人程度)の国であるからこそ、なのかもしれません。それでもどうでしょう?この世界的疫禍の中で過ごす状況はどこも同じなのに、いったい何が人の気持にこんなに差を生んでいるのでしょう?

私は途中から画面の向こうに広がる世界がとても羨ましく思えて、その理由を探りたくなってきました。


ブータンのスタッフ曰く、

「ブータンの人々は生活が困っていなければ、それ以上のことは望まないし、時間の捉え方も違うのではないかしら」と。

例えば、一日予定も無く日がなテレビを見てゴロゴロして家族とご飯を食べて家から出かけなかったとか、そうした時間の過ごし方に、私達は「今日は無駄な1日を過ごしてしまった」とか、「生産性のないことに時間を使ってしまった罪悪感」みたいなものを多少なりとも感じたりしないでしょうか?特にお子さんのいらっしゃる主婦の方々などは家族が皆家にいて、そんな事を考える余地のないくらい逆に家事に追われる日々をお過ごしかもしれませんが、私を含め、特に世の男性達は「時間がある時は生産的なことをしなければならない」という強迫観念に近いモノを、いつの間にかすっかり頭に植え付けられてしまったのではないかなぁと、私は感じたのです。
様々な話を終えた時、私の心の中に刻まれたのは、ブータンのスタッフの

「ブータンの人々は、何に対しても多くを求めない。とりあえず暮していけたらよい、と。足るを知ってる気がします」という言葉でした。

皆、欲張らずに今の生活の中に満足を見出そうと思っているから、心が安定しているのだと。

コロナは経済的打撃はもちろんのこと、他人への疑念や環境の変化に対する苛立ちや政府への不満など、日本やアメリカには暗然とした空気が蔓延してきたように思います。日々の心の持ちようの違いが、ブータンで暮らす人々と日本で暮らす人々との気持の違いを生んでいるような気がしてなりません。

「先進国」とか「後進国」とか、「都会」とか「田舎」とか、「お金持ち」とか「貧乏」とか、今まであった2極の軸以外の幸せの軸の秘密は、「足るを知る」やっぱりブータンにありそうだと確信したミーティングとなりました。