写真は、スリランカ アヌーラダプラにいた時のサンセットです。
ここから眺めた夕日は本当に綺麗でした。
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旅行している時の24時間と
東京で仕事している時の24時間は
本当に同じ長さの24時間なのだろうか、と思うことがあります。
東京で、夕日が沈むところを眺めようなど、私は日曜日の夕方でさえ思うことはありません。
常に、「あれやったら、次これやらなきゃ」などと考えています。
せっかちな性格ではないと思いますが、常に時間を有用に使おう、何かのために時間を使おう、という気持ちが働いています。
なのにスリランカで、本当に夕日が沈んでしまうまで、じーっと立って空を眺めていたいという気持ちは、どっからくるんだろう。
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旅先で、ある光景を見たいだけで、何時間も何万円も費やすことがあります。
単なる自己満足で、しいて言えば写真以外では残らない体験です。
けれど、その光景を見て、「はっ」とする瞬間まで、
道に迷ったり、バスに乗り遅れたり、おなかすかしたり、誰かに出会ったり、
自分なりのドラマがあったりします。
自分だけのドラマは、もしかしたら一生愉しめる記憶の中のドラマです。
それには十分価値があると思うのです。
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あと、旅先では、言葉も環境も違い、頭も心の中のいつもと違うところが常に動いていると思います。
だからこそ、東京でも見ることのできる太陽や月や星などが、なんだか違って見えて
もしかしたら ちょっと客観的というか「アレ、月ってこんなにきれいだったけ?」みたいに
スト−ンと心のいつもと違う場所に入ってくるイメージ。
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同じ24時間でも午前中の素敵なバリ、午後のなるい感じがいいヨーロッパ、夕方が美しいスリランカ、夜が面白いニューヨーク。
各地で一番魅力的な時間は、とても長く楽しめたような充実感があります。
東京と同じ1時間の中に、どれだけのドラマが詰め込まれているか?
それがポイントなのでしょう。
だから便利ですべてが時間通りに話が運ぶより
ちょっと不自由な場所での1時間のほうが、とても充実感を感じちゃったりするのですね。
今 日本からの旅行は、贅沢にも「不自由を愉しみにいく」旅行なのかもしれません。