一般的に関東ではお盆は7月15日前後なのかもしれないが、
幼少時代、毎年のように長野の田舎のおばあちゃん家で長期の夏休みを過ごしていた私にとっては、8月12日〜の感覚だ。
当時、おばあちゃん家は藁ぶき屋根。
玄関は広い土間で、上を見上げると、太い木で組んだ屋根裏までも見え、そこに猫が寝てたりした。
きっと彼らはちゃんとネズミを追っかけていたのだろう。
お盆の初日は、村の人々が集まって(当時は、「なんで田舎はおんなじ名字の人ばっかりなんだろう?」と思っていた)皆でお墓に行く。
そして、お墓の掃除をして、花を飾って、お線香をたいてお参りした後、
皆、腰の後ろで手を組んで、家に戻る。
これは、「ご先祖様をおんぶしている」姿勢なのだ。
そして、庭から家の玄関まで、
白樺の皮を乾燥させたものに火をつけて、そこを通りながら、家に入る「迎え火」。
どうやら、「家にかえってきましたよ」という道しるべらしい。
おかいこ様(蚕)用の蚕棚の並ぶ 大広間の奥に、仏壇が飾られ、
東京の家では見たことのない綺麗な廻り提灯が飾られている。
仏壇には、トウモロコシのひげをしっぽに、割り箸を折って刺して作ったナスとキュウリで作った馬が飾られている。
なんだか甘そうだけど、パサパサしてそうな花の形をしたお菓子の盛り皿も備えられている。
後は延々とその前で近所のおばさんやおばあちゃんたちがお茶を飲みながら漬物やらモロコシやらスイカを食う・・・
近所のおばあちゃんたちが東京から来た僕たちに、次々と「ウチ畑でとれた」という山ほどのトマトやピーマンを持ってきてくれ、
僕は夏休みの度に同じ野菜ばかり集中して食べ、嫌いなものが増えたっけ。
時々、出かけて戻ると、知らないおばあちゃんが勝手に家に入ってお茶を飲んでいて、「おかえり、よう来たね」などとも声をかけてくれた。
鍵をかけないで出かける・・というか、そもそも鍵の無い玄関が、信じられなかった。
あの夏は今 涙が出そうなほど懐かしく、
本当にしあわせな時間であった、
と 思う。
私がこの歳になるまで見守っていてくれたすべての人に ・・・感謝。
ちなみに、8月16日頃 再び皆で集まり、おんぶ姿勢をして、今度は「送り火」をして
先祖をお墓に戻してあげて、お盆が終わる。
オニヤンマをあまり見なくなり、赤トンボが飛び始め、夏休みが後半戦に入ったことを知らせてくれる。